話したいけど誘われたくない

最近職場の人との人間関係が苦手で、あまり仕事以外のことは話さない。別に話すこと自体は苦手というわけではないのだけれど、仲良くなったその先にある、一緒に遊んだりとか、飲み会をしたりとか、そういうイベントにやたらエネルギー消費してしまうらしい。予定が入るだけで、それを乗り切るまで憂鬱な日々が続いてしまう。だから、下手に仲良くなって遊びに誘われてしまうのが怖くて、雑談をすることも少し躊躇してしまう。

誘いを断り続けると、どうしても人間関係は悪化する。それまでできていた、普通の楽しい雑談も、なんだかぎこちなくなってくる。今日もボードゲームに誘われて、やっぱり断って、なんか変な感じになってた。もちろん人によっては理解してくれることもあるけど、「仲良くなる⇒遊ぶ、飲む」が当たり前だから、断る=嫌いと捉える人も一定数いる。

ただその場で雑談するだけで済めばこんなに幸せなことはないのだけれど、仲良くなれば必ずその先のお誘いが待ってるのだ。そこら辺のバランスがとても難しく、段々、そもそも話さないという選択に逃げてしまう。

自分を好いてくれている人はたくさんいると分かっているのに、申し訳ないし、悲しい。

子供を持つこと

結婚を意識してからというもの、これからずっと同じ職場に通い続けることの閉塞感みたいな感覚が急速に沸いてきてしまったのだけれど、道端の草花とか、食材とか、季節によって少しずつ変化するものを意識してみることによって、それがちょっとした生活のスパイスになることが分かった。これから何とかこの閉塞感と騙し騙し付き合っていける糸口を得たような気がした。

思えば、学生時代であれば将来の姿なんて分からないし、環境も急速に変化していくから、閉塞感を感じることもなかった。一方で、大人になってみると、こういうスパイスと表現するレベルの小さな変化すらも貴重になる。

夫婦が子供を設けるというのも、ここら辺のメリットが大きいんじゃないかと思う。大人に比べて子供は変化のスピードがとても早いから、子供は夫婦生活に閉塞感を感じさせないための重要な要素になるだろう。前にネットで、暇つぶしで子供を産んだ、と言っていた人がいたけれど、自分が一番なるほどと思った動機だった。子供が全然欲しくない自分にとっては、世間的な圧力を感じるから子供を持つというのは、気がすすまないことだったけど、こういうメリットがあるということなら選択肢になる。

暇つぶしで子供を持つというと、なんか倫理的に微妙な感じが醸し出されるけど、こんな時代だからこそフランクな理由もアリかもなあと思う。

これが例のあれか

ちょっと前までは、将来のことなんて分からなかったというか、考えもしなかったし、子供を持つなんて発想もなかった。でもいつの間にか、比較的安定した仕事に就いていて、恋人がいて、近いうちに結婚して、子供を作ることになっている。いつの間にか、将来をちゃんと固定して見通しが立つ事が責任になっている。両親も、やっと自分たちの仕事が終わったという感じで喜んでいる。大変なこった。手に職は無いから、子供を産めばこの場所から動けない。20年後もここにいる。30年後には動けるかも知れないけど、その時にはそんな元気もないかも知れない。まあ今の時代、20年後も同じ仕事ができてると考えているのは、きっと甘いと怒れるだろう。仮に同じ仕事ができても、幸せと言わないときっと怒られる。全く大変だ。「安定した仕事に就いて、妻がいて子供を育てて、定年まで 働けました。とても幸せです。」きっとそうだろうと考えている。でも、もっとフラフラ生きてもいいのかなあと魔がさすこともある。もっとも、考えるだけで確証も勇気もない。

せめて季節でも感じて生きようと思って、旬の食材のカレンダーを見て買い物したり、植物の図鑑を読んだりしてる。少し、生活に彩りがでてくることがわかった。普段通る道に、ちょっとした楽しみが加わる。大人ほど季節の移ろいを楽しんでるなあと思っていたけど、同じなのかしら。